大学1年生から研究室に所属して博士号を取得するまで、約10年間、私大・国公立大学の研究室を見てきました 博士号取得前に大学教員への推薦の話もありましたが、断りました
今は民間で研究開発職についていますが、そんな私がアカデミックではなく、民間の研究所をあえて選択した理由を書いていこうと思います
※あくまで私が見てきたアカデミックなので、多少偏っているかもしれませんがご承知おきください
現場まで時間が掛かりすぎる問題
大学では基礎的な研究から社会実装まで含めた研究がされています
それは、私がいた研究室でも同じで基礎研究~応用研究まで色々なことをする人たちがいました
色々なことを研究するのですが、成果を広げる手段が限定・制限されていて世の中に拡散するまで非常に時間が掛かります
最近ですと、産官学連携センターという部署が学内に設置されていることがあり、外部機関との折衝やプロモーションをしている所もあります
しかし、それでも「大学」という昔ながらの村の中では掟が多くて動きづらそうに見えました
会社は企業風土によりますが、私が所属する会社はある程度独立した部署ですと好きに営業・販促活動が出来るので、進めたい研究テーマ+お金(もしくはスポンサー)を持ってくれば比較的自由に活動できます
※別の研究開発職の友人に話したら、「そんな企業は稀だ」と言われたので、民間で括れないようですね
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労働力が足りない問題
研究の主な労働力は学生なので選択されないテーマが出てくるとストップします
企業であれば重要なテーマには人を配置して計画的に進めることができますが、ポスドク・学生の労働力が足りなければ重要なテーマであっても一度ストップせざるを得ないのです
また、学生の労働力に期待しすぎたり、強制するとアカハラ・パワハラになります
何せ彼らは大学にお金を払ってくれているお客様であって、契約によって労働力の提供を約束しているわけではないのです(私の学生時代は労働力の強制提供やハラスメントは当たり前でしたが今は少ないでしょう)
その点、会社員であれば労務提供-給与を約束したうえでの活動になりますから、最低限の進捗は約束されているのです
仮に不良社員であれば減給処分や解雇、人員のコンバートなども出来ますが、大学教員は配属される学生を選ぶことは出来ません(入室時に面接するところもありますが、人材がいまいちでも採用0には出来ません)
同僚がいない問題
私はひとりだとサボりがちなので、同僚にはいて欲しいというか、職場には他人の目があってほしい人間です
かたや研究室の教員は基本1~2人体制です
部屋もそれぞれの個室が用意され、なんとなく中小企業の社長的な雰囲気で日々研究に取り組みます
このような状況ですと同じ研究をしている同僚はいないか、いても少ない環境です
そんな環境を学生時代に見ていて、
・研究が行き詰まったら誰に相談するのか?
・学生との人間関係や研究者間の憂さをどこで晴らすのか?
この辺は企業でも、ある程度の職位に就くと同じような環境だなと思うようになりました
そして、大学教員の就業環境にはもっと大きな問題があることに気づきました
・人間としておかしくなった時に道を踏み外してしまいがち
これは、私が見ていて非常に大きな問題だと感じました
ひとつは研究室という単位が閉鎖系であることから、独裁国家のような形になってしまうケースがあること
また、主な被害者は学生になりますが社会経験が少ないことから、その問題を指摘する手段に乏しい環境にあります
ふたつめは教員がメンタルや体調に変調を来たしたときに管理できないということです
通常の企業であれば、残業時間の管理・メンタルヘルスの管理などがあり、無茶な働き方にブレーキを掛ける仕組みがあります(ない企業もあるのは重々承知ですが...)
これに対して大学教員は基本が裁量労働制で残業の管理はありませんし、学生指導・学会参加・大学内会議・講義 etc.と非常に多忙です
その中で自身やチームのストレスや人間関係のマネジメントをしていかなくてはいけませんが、アカデミックをストレートで進んできた教員はそういった有機的な部分のマネジメント力が乏しい印象を抱いています
おわりに
色々と書きましたが、いずれも私が学生時代の頃の話なのでかなり昔の話になります
最近、大学を訪問すると研究室や職場の様々なマネジメントをされている教員の方もいて、逆に勉強させていただく機会もあるくらいです
ただ、ブラック研究室という言葉が生き残っているあたりに前時代的な研究室システムは健在なのだなと思うことも少なくありません
私が学生の頃は「使えない人材を大学の研究室で淘汰するから社会に出ていく人間の質が担保されている」ということが平気で言われていました
今の世代にそんな言い訳は通用しませんが、小さな村の中ではそのような論調がまかり通っているのかなと思います